リーダーは強くある必要はない、これからは「支えられる」ことが大切になる理由
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上司・マネジャーとしてチームでリーダーシップを発揮するにあたって、これまで先輩上司たちがそうしてきたように、イニシアティブを取り、自らの背中で部下たちを引っ張るような「強いリーダー」こそが、あるべき姿だと考えている・・・。
しかし、実際にそれを実行しながらも、なかなか部下がついてきてくれない、思うようにチームとして成果を挙げられないことに忸怩たる思い、もしくは「このやり方は自分には合っていない?」と違和感を抱いている方は少なくないかもしれません。
そんな方にご紹介したいのが、「支えられるリーダーシップ」。時には部下に頼ったり、弱みを見せたりすることが、かえって部下の自律性や責任感を高め、チームのパフォーマンスアップにもつながるのだと言います。
今回は、もともと「強いリーダー」を自認していたというNPO法人G-net 理事(創業者)で、岡崎ビジネスサポートセンター・オカビズセンター長の秋元祥治さんに、「支えられるリーダーシップ」への転換点やその手法、思いを伺います。
PROFILE
- 秋元祥治
NPO法人G-net 創業者・理事/岡崎ビジネスサポートセンター OKa-Biz センター長 - 1979年岐阜生まれ、早稲田大学教育学部/政治経済学部中退。2001年NPO法人G-net創業。長期実践型「ホンキ系インターンシップ」や「みぎうで人材」採用支援は地方都市初の本格的事業化の取り組みとして全国からの注目を集めている。2013年10月より、売上アップに特化した中小企業相談所・岡崎ビジネスサポートセンターOKa-Bizセンター長に着任し成果続々、相談は1カ月待ち。著書に『20代に伝えたい50のこと』(ダイヤモンド社)
「強いリーダー」から脱却せざるを得なかった理由
―秋元さんが現在取り組まれている業務についてお教えください
21歳の時にNPO法人G-netを立ち上げて、中核事業として長期実践型のインターンシップや地域の若者を応援するファンドなどを運営。2013年からは愛知県の岡崎ビジネスサポートセンターで中小企業支援を手がけていて、企業の経営課題や顧客開拓などの相談に乗っています。
ですから、いわゆる一般企業へ一度も就職することがないまま創業しました。元々、僕自身はリーダーになりたいと思ってなかったし、向いているとも思っていなかった。ただ成し遂げたい目的があって、自分で始めるしかない・・・だから、手段としてリーダーにならざるを得なかった。それでここまで来た形です。
―秋元さんの「成し遂げたい目的」とは?
基本的に岐阜・岡崎を拠点としていますが、そこで手を挙げ、挑戦する人を増やしたい、ということです。大学の時、親友が慶應大SFCに通ってたんですけど、彼のゼミの先生が鈴木寛さんで、僕も触発されたんです。世の中、揚げ足取る人ばかり。うだうだ言って何もしない人よりも、うだうだ言われてでも実際している人がいいに決まってる。そんな思いからでした。
―若干21歳でNPO法人を立ち上げて代表になって、必然的にリーダーシップを発揮されるようになったんですね。
やはり、始めてしまえば「自分がリーダーでなければならない」という自覚はあったし、周囲の大人たちからも、「ビジョンを明確にして、みんなを率いていくべき」「弱いところや苦しいところを見せてはならない」と教えていただきました。先輩や友人でIPO(新規上場)を目指す人もいて、その多くが「弱みを見せると、信頼を失うんじゃないか」と話していた。
僕もそう思っていましたし、先頭で旗を振ってリードしていくのが、リーダーのあるべき姿だと思っていました。
―ご自身のリーダーシップに変化があったのは、どんなきっかけだったのですか。
これはもう、明確なきっかけがあって、2007年ごろに経営危機に陥ったんです。財務状況も・・・端的に言って「ヤバいことになった」と。けれども1、2年は何食わぬ顔でやっていました。それでも一向に状況を打開できず、もうダメだ、事業も諦めなければならない・・・。
そうなってはじめて、支援者や信頼できる近しい人へ打ち明けたんです。「このままでは債務超過に陥りそうなんです。なんとか、資金をお借りすることはできませんか」と。一旦、預けてもらったお金で銀行からの融資を返済して、個人として5年・・・10年かけてでもお返ししたいとお話しました。
すると、皆さん、「水くさいじゃないか」といった反応で。正直、怒られると思っていたんですよ。自分の経営能力のなさに対して。でもむしろ、こうなるまで何も相談してこなかったことを叱られました。
「まとまったお金は用意できないけど、これくらいなら寄付するよ」「お前を信じて貸すから、『いつまでに』とは言わない。返せるようになってからでいいから」「一緒に何が出来るか考えるよ」「銀行に一緒に行くよ」と、多くの方に支えていただいたんです。
―弱みを表明せざるを得なかった状況だったとは言え、それまでかぶっていた「強いリーダー」という鎧を脱ぐのに抵抗はありませんでしたか。
もちろん、とても難しいことではありました。ただ一方で、それまでもどこかで自分の限界を感じてもいたんです。事業や組織は、自分の器以上に大きなものにはならない。その閉塞感というか、頭打ち感を抱えていたことは確かです。
実際に弱みを見せてみると、「頼られるのがイヤな人」ってあまりいないんだな、と実感したんです。「頼って依存される」のはそりゃイヤだと思いますけど。
僕が頼ったのは、地元でも長く事業をされてきた方々で、それまでも信頼をしていましたが、その経験を経て、さらに深い信頼関係が築かれたような気がします。当時僕も20代でしたし、実績がどうこうというより、「これからの期待値」に賭けてもらったんだと思います。
支えられるリーダーは「元気玉」で組織を大きくできる
―ご自身の組織の外の方へ弱みを見せたことで、組織内のスタッフへの接し方にも変化はありましたか。
まず、前述の地域の経営者の方々には社外取締役をイメージして、理事(非常勤)としてG-netの経営に参画し、G-netの経営向上に無報酬で定期的にコミットいただくことにしました。自分自身の能力がG-netのキャップになってはいけない、多様な才能ある方々に頼ろう、と考えたのです。
さらに、組織として明確に変わったのが意思決定のフロー。それまで事業計画は僕が作っていたのですが、四半期に一度合宿を行い、各セクションから課題や方針を洗い出し、ディスカッションを経て計画を決定するようになりました。
最初はやはり、メンバーにも戸惑いはあって、促さないとなかなか意見が出てきませんでしたが、アジェンダ設定や場づくりを工夫して、少しずつ変わっていきました。そこで話し合う中で、目指すべき姿が異口同音で語れるようになってきたし、全体としてパフォーマンスを挙げられるようになってきました。
それと僕個人としては、メンバーとの距離が近くなりました。その前はよくメンバーから言われていたんです。「言っていることは正しいし、ロジカルだけど、全然響かない」って。まったく理解できませんでしたけどね。正しいことの何が悪いんだ、って。でも、鎧を脱いでみて、やっぱりラクになりましたよ。文字通り、肩が軽くなりました。
―これまで強いリーダー像を追い求めていた人にとっては、「周囲に支えられるリーダーシップ」というのがなかなかしっくりこない気もするのですが。
ドラゴンボールの「元気玉」みたいなものだと思うんです。ビジョンや目指す方向性を共有して、それに対する関わり方を提示する。そうすると、利己的な人にはあまり「元気を預けよう」とは思えないじゃないですか。
「地球を守りたい」とかだとちょっと壮大すぎるかもしれないけど、「地域を良くしたい」とか。日常でいえば「顧客に本当に役に立ちたい」「この会社、部署をもっとよくしたい」って真剣な思いに対しては、まわりも「応援したい」「支えたい」と自然に思えるはず。そういう意味では、どれだけ自分がやっていることに共感してもらえるか。
さらには、その目指すもの、実現したいことに対して、自分はどんなことはできるけど、どんなことはできないのかに、あらためて向かい合う。それをまわりに表明するんです。
―これまでとはアプローチを変えなければ、と思いながらも、いまいち「キャラが違う」というか、まわりに頼ることが苦手なマネジャーは、どんなことから始めればいいでしょうか。
ほんの些細なことから始めればいいんだと思います。
これまでは小っ恥ずかしくて部下に面と向かって「ありがとう」なんて言いにくかったんなら、メールやチャットでテンプレみたいに「ありがとう」と書いたり、困りごとを少しずつ言葉にしてみたりする、とか。「今困っていること、みんなに意見をもらいたいこと」メールを不定期で、チームに相談するように送ってもいいかもしれません。
昔なら手紙くらいしかなかったわけですから、今はどんどんハードルは低くなっているはずですよ。ショートメールやLINE、メッセンジャーなどさまざまなコミュニケーションツールがありますしね。
地元のある経営者の方がおっしゃっていました。「剥がれやすいメッキでも、何度も何度も塗り重ねていけば、無垢になる」と。形から入ってみて、最初は不格好に思えるかもしれないけど、何度も繰り返していくうちに、本心からの言葉になると思うんです。
それができるようになったら、ミーティングのあり方も変わっていくはずです。「リーダーが方針を示して、まわりの同意を得る」といった内容だったのが、課題に対してみんなで知恵を出して、ディスカッションして解決策を探っていくような内容になる。
例えば、15人の部署で一斉にアイデアを出すのは難しいでしょうから、4、5人のワークショップ形式で、ブレストから提案まで全員がコミットできるような環境を作る。そのためには、そこで判断材料として数字やデータなど、いろんなことを開示しておく必要があります。
―「経営者やリーダーだけがしっかり経営・事業戦略を考えておけばいい」というわけではなく、予算や利益も含めて開示して、メンバー一人ひとりが考えられる材料を共有する、ということですね。
一番大事なのは、ビジョンを共有することです。実際、僕はそれをするうち、2017年5月でG-netの代表理事を退いて、OKa-Bizに注力することになりました。それは、僕の後任である南田との間で、根底にある信頼関係がお互いにとって強固なものになり、ビジョンを共有できたからこそ。
彼は、新卒でうちに入ってきて、最年長というわけでもないし、スキル的にはまだ不十分なところもあるかもしれないけど、同じ未来をリアルにイメージ共有できるのが、彼だったんです。スキルは他の人から補えるかもしれないけど、ビジョンは補えませんから。
ビジョンは、ビジブル(見えるように、イメージできるもの)でなければいけません。ビジョンが目に見える形で共有できて、たとえ目をつぶってもその未来が動画として浮かんで、手に取るくらい鮮明に描き出せる人。そういう人こそが、自分が何か次の「元気玉」を作りたい時、今持っている元気玉を預けられる人なんだと思います。
「自分の抱え込んでいるものを手放していく意識を」
―そんな「支えられるリーダーシップ」が、これからの時代に求められるようになるのはなぜでしょうか。
SNSをはじめ、一人ひとりを可視化する手段が確立されてきたからこそ、「実はこんなことに困っている」と表明した時、意外と多くの人が手を差し伸べてくれることに気づいた人もたくさんいると思います。「世の中捨てたもんじゃない」って、使い古された言葉ですけど、本当にその通りで。
G-netのオフィスは岐阜駅前にあるんですが、半分コワーキングスペースにする形でリニューアルした時、「ちょっと手伝うよ」といろんな人が声をかけてくれました。クラウドファンディングだけでなく、資材も多治見の陶器メーカーさんがタイルを、地元の工務店さんが木の一枚板を提供してくださって、みんなでリノベ工事をしたんです。
僕らにとっては予算を節約できたし、みなさんは「楽しかったよ」なんて喜んでくれて、「頼る」ことがみんなにとってハッピーに思えるようになった。
以前は「自己開示」という言葉も自己啓発的な意味合いが強くて、馴染みがなかったけれど、コーチングやチームビルディングの手法として少しずつ浸透してきて、みなさん大なり小なり、その必要性を感じるようになってきたと思います。
―強いリーダーシップから支えられるリーダーシップへ、移行するために背中を押してもらえるような言葉をいただけますか。
これは、言おうか言うまいか迷ってたんですけど・・・実は僕、交通事故で重傷を負ったんです。
2012年の5月に東名高速で10トン車に追突されて・・・当然、事故の記憶はありませんし、3カ月の入院・静養を余儀なくされて、代表理事としての仕事を強制的に手放しせざるを得なかった。それまでは、「僕がいなければ」と思っていたけど、その3カ月間、なんとかメンバーたちが僕の不在をフォローしてくれたんです。
あと、僕の友人で、サッカーFC岐阜の前社長の恩田聖敬さんという方がいます。彼は難病・ALS(筋委縮性側索硬化症)を発症して、2年前に退任することになったんです。在職中にはラモスが監督になったり、川口(能活)や三都主選手を迎えたりして、サポーターを増やしていたんですけどね。それでも自分の会社を起業して、ALSを伝える活動をしていこうということで、僕もお手伝いしたんですが。
本当に、いつ何が起こるか、自分がどうなるか、まったく分からないんですよね。ですから、「今日死んでもいい」と思えるくらい、後悔なく生きたいと素直に思うのです。
だからこそ、自分のキャパをチームのボトルネックにしている場合じゃない。どこかでいつも意識して、自分の抱え込んでいるものを手放していく。これまでの働き方、生き方を振り返って、変えてみる。
チームのメンバーの多様な可能性を信じること。組織として、みんなで支え合う仕組みや構造を作るチャレンジは、間違いなく必要なことなのではないでしょうか。
[取材・文] 大矢幸世、岡徳之
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