楠木建さん「ギバーを目指す実践的ノウハウを求めるのはテイカー的発想」
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一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授の楠木建さんは、ペンシルバニア大学ウォートン校教授で組織心理学者のアダム・グラントの著書『GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代』を監訳されています。
当プロジェクトでも取り上げたことのあるこの本において、著者は人の思考と行動に基づき、「ギバー(与える人)」「テイカー(受け取る人)」「マッチャー(バランスを取る人)」の3類型を提示し、「ギバーこそが成功する」という論理を展開しています。
ビジネスにおいてギバーたりうるには、どんなことを実践していけばよいのでしょうか。楠木さんに「ギバーになるための実践的ノウハウ」を伺ったところ、その先にある「ギバーとしての発想」が見えてきました。
PROFILE
- 楠木建
一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授 - 1964年、東京生まれ。1992年、一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。同大商学部専任講師、同大学同学部助教授、同大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、同大学大学院国際企業戦略研究科准教授を経て、2010年より現職。専攻は競争戦略論。著書に『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(東洋経済新報社)、『「好き嫌い」と才能』(東洋経済新報社)、『好きなようにしてください』(ダイヤモンド社)など多数
メリットを求める時点でその人はギバーではない
ー本の中では「ギバーこそが成功する」という論理が展開されていますが、ギバーであることのメリットはどういったところにあるのでしょうか。
問いに答える前に、まず指摘しておきたいのは、「ギバー(与える人)」「テイカー(受け取る人)」「マッチャー(バランスを取る人)」の正しい理解についてです。
この3分類において、ギバーは「与えるだけの人」と誤解されがちですが、世の中と折り合いをつけて生きている以上、犯罪者(≒ピュアなテイカー)や聖職者(≒ピュアなギバー)は別として、世の中は最終的にはどっちにしろギブ&テイクということになります。
この3分類は、ギブ&テイクに対する「意図」の違いに注目しています。テイカーはテイクするための手段としてギブする。すべては自己利益のため、すなわち「テイク&テイクン」となります。
ギバーはその逆で、ギブするときにテイクを意図しません。「ギブ&ギブン」なのです。マッチャーはその都度バランスをとるべきだと考え、テイクを期待できるところにギブします。普通に「ギブ&テイク」というときに念頭においているのはこのマッチャーです。
その前提で考えると、まず「メリット」という考え方自体がギバーにフィットしませんね。
「何かリターンは」などとROI(投資対効果)を求めるのは、テイカーもしくはせいぜいマッチャーの考え方です。仮にメリットがあるとしても、ギブする時点ではギバーは利得を意図していません。「情けは人の為ならず」と言いますが、ギバーにとっては行動とテイクとの因果関係がその時点で明確ではない。非常に長い時間軸においてギブが返ってくるので、ギブ&ギブンとなる。
ー「メリットを求めた時点でギバーではない」というのは耳の痛いお話です・・・。実は今日「ギバーになるための実践的ノウハウ」についてお伺いしようと考えていました。
それはテイカー的な発想ですね。
率直なところ、ギバーについて理解を深めることは重要ですが、何か実践的なアクションを導こうとすると、非常に難しい話ではあります。本の中でもすでに起きたことを統計学的に実証し、ギバーやテイカーについて定義していますが、これはあくまで広い意味での「生き方指南」のようなものです。
例えば、「テイカーはSNSに出しているプロフィール写真が大きくて派手だが、ギバーは小さくて地味な傾向がある」という興味深いデータが紹介されています。かと言って「写真を小さくすればギバーになれるのか」というと、まったくそんなことはない。
ここで理解しておきたいのは、人間の行動に科学のような法則性はないということ。本に例示されたギバーたちの行動を知ることで、洞察や気づき、教訓が得られます。この際、「ギバーになるための実践的ノウハウはない」ということが分かるだけでも、十分に意味はあるでしょう。
成功するギバーは「自己犠牲」ではなく「他者志向性」をもっている
ー本で紹介されているギバーたちは成功を掴み、確固たる地位を築いている方が多いようです。となるとやはり「ギバーになりたい」と思うのが正直なところ。ギバーがギバーたりうる所以というのは、資質的なものも大きいと感じるのですが、後天的に身につけることは可能なのでしょうか。
それは「成熟」という言葉で表現できるかもしれません。若いときにテイカー的であることは当然のこと。それがだんだん世の中のことが理解できて、ギバーの色彩を強めていくことが、一般的な人間の成熟と言えるでしょう。
中には幼少期からの教育によって、若くして成熟し、ギバーになっている人もいますが、それがある種資質的なものかもしれません。いずれにせよ、成熟というものはそう簡単に手に入らないものです。
ーとはいえ、読者はちょうどその過渡期でもあり、仕事においてギバー的な役割を求められる局面も多く、「部下や後輩にギブしなければ」と思いながらも、「それは自分のためになるのだろうか・・・」と葛藤することも多いように感じます。
いわゆるマッチャー的なスタンスになってしまうということですね。ただ、先ほどもお話しした通り、「会社の中でもっとギブしていかないといけない」と思った時点でもうギバーじゃないんです。なぜなら、それは続かないからです。
ある知人を例に挙げましょう。アドテクやコンテンツ事業を展開しているユナイテッドの代表取締役会長CEOを務める早川与規さんという方がいるのですが、彼は銀座のとある寿司屋のオーナーも務めているんです。本業とはまったく結びつかないものですから、寿司屋を始めた理由を聞いたんです。
彼いわく、もともとよく食べに行っていた寿司屋があったのですが、そこに勤めていた職人が突然辞めて、別の店に移ってしまったんだとか。それで職人さんに会いにその店へ行ったところ、「将来的には独立したい」という話を聞いたんだそうです。それで、「それなら私が助ける」と、早川さん自らオーナーとなり、その職人さんの独立を後押ししたんです。
これはギブの一種とも言えますが、早川さんにとってはテイクでもあるんです。つまり、その職人さんが握る寿司が好きで、彼の人柄も信頼していて、彼がお店をやることで、自分好みの寿司をいろいろなひとに食べてもらえる。「自分がそうしたいからそうする」ということです。
このとき、利他と利己がつながっているのです。端から見れば利他的なことであっても、本人としてはあくまで自らのベネフィットを感じているということ。テイカーやマッチャーの考える「ギブ&テイク」とはそもそも認識が違うのです。自分にとって「おもしろいから」「心地よいから」「自然だから」やっている。だからこそ、長期的にギブができるのです。
ー当プロジェクトでもエンジェル投資家というある種ギバー側の方々を取材してきましたが、話をお伺いしていると、「ギバーがギバーを呼ぶ」と言いますか、ギバーの周辺では経済活動に留まらない、ポジティブなやり取りが起こっている気がします。楠木さんにもそういった面があるのではないでしょうか。
私自身がギバーとは思いませんが、局面によってはこの本に登場するような「ギブ」を行うこともありますね。才能のある人がいたら、その才能が世の中に出て行けるように人を紹介したり、仕事とは関連しないビジネスへのアドバイスを求められたり・・・。
ただそれは、「おもしろいことが起きるところを見てみたい」から、そうするということ。逆に言えば、そうでないときは人を紹介しても迷惑がかかるかもしれないから、ギブしないこともあります。ですから、ある人にとっては「親切で面倒見がいい人」であっても、違う人にとっては「すごく冷たい人」だと、私のことを思っていることもあるでしょう。
ー本の中では最も成功する人と最も成功しない人のいずれともギバーであり、「バカなお人好し」にも「最高の成功者」にもなれる、という指摘が印象的だったのですが、その2つを分けるポイントがそこにありそうですね。
そう、つまり成功するギバーは「自己犠牲」ではなく「他者志向性」を持っているということ。ギバーのすべてが単に「親切な人」「お人好し」というわけではないということです。
その人がどういう局面でギブしているのか、それぞれに明確な条件があるということ。それは短絡的な利益を追求するのではなく、関心があるか、おもしろいかどうか、なんですね。相手に対する共感や、社会的に正しいかどうかなども判断軸になることもあるでしょう。
ギブにしてもテイクにしても、気持ちではなく行動に起こすということが大事なんです。いくらギバーでも、全員にギブしていたら、時間的にも経済的にも足りません。
自他の区別なく「おもしろそうだから」「やりたいから」やる
ー「おもしろいこと」「関心のあること」に触れる手段として、今はSNSもあります。そういった「弱いつながり」があることで、ギバーになれるきっかけも増えている気がするのですが。
SNSだけでなくインターネットやデジタル全般というのは、リアクションの時間幅を短くしていく側面があります。みんながせっかちになって、「そのうちに・・・」という行動はどんどん取れなくなっていく。これを「インスタント・ソサエティ」といってさまざまな人が批判的に論じていますが、これはギバーの概念とは最も最もかけ離れていることです。
私自身は、ソーシャルメディアやネットがギバーを阻害するほうがよほど大きいのではないかと思います。人間にとって「自己愛」というのは昔から変わらぬ需要がありますが、SNSはそれをうまくマネタイズしているビジネスであり、自己承認欲求をうまく満たしてくれるツールです。
ただなんとなく「いいね!」と押すのは、ギバーというよりは、非常にマッチャー的、テイカー的なものだと思います。
ー楠木さんご自身は本の冒頭で「もともと日本はギバーが多い社会」だと指摘されていましたが、それはどういうことでしょうか。
「日本人は人がいい」というよりは、社会的に必然性があったということです。
基本的には農村共同体ですから、一つはみんなで力を合わせてやらなきゃいけないということ。もう一つは狩猟にくらべると時間軸が長いということ。「子孫に美田を残す」「備えあれば憂いなし」といったメンタリティが身についている。
ですから「情けは人の為ならず」ということが、欧米の人にとっては新しい価値観であっても、日本人にとっては自然と受け入れられるものなのです。
ーそう考えると、意識的に時間軸を長く捉え、短絡的な成果を求めないことが、ギバーのスタンスとしては重要なのですね。
そうです。すぐにはできないかもしれませんが、少なくとも価値観として、「それが人間としてあるべき姿だ」ということを認識して生きていくということです。
ーギバーは「資産や資本を持ち、それを分け与える人」というイメージがありますが、それらを持たざる人がギバーになれる可能性はあるのでしょうか。
その人にとってギブすることが自然な行動であれば、可能なことだと思います。つまり、重要なのはそれがその人にとっておもしろいかどうか、快適かどうかということであり、仮に富がなかったとしても、興味や関心、「この人の役に立ちたい」という思いは、お金の有無に関わらず人間が感じることです。
ギバーにとって最も強い動機としては、「本来なら自分がやりたいけど、能力的、資源的、時間的な制約でできないとき、代わりにこの人にやってもらいたい」ということ。つまり、そこには自他の区別がないのです。「自他の区別をなくす」ということが唯一ノウハウめいたものかもしれませんが、ギバーはそれを意図してやっているわけではなく、結果として成功しているわけです。
ただし、それは経済的な利益というよりは、「リスペクトを得た」というほうが正しい言い方でしょう。「ギバーのほうが金銭的に儲かる」という話でもありません。
極端なことを言えば、テイカータイプの成功者もいるわけです。短絡的な利益をずっと得続けることで、地位を確立することもできる。ただ、それをやればやるほど信頼関係が失われていくのも確か。世の中にはさまざまな矛盾や理不尽がありますが、その程度にはうまくできている。世の中も捨てたものではないということです。
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[取材・文] 大矢幸世、岡徳之
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