起業家から大企業CTOへ。デジタル時代のロールモデルのキャリアはこうして築かれた──クレディセゾンCTO小野和俊さん
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「変革の時代」。自らの挑戦の場を求めて、大企業からベンチャー企業へと大胆にも転職を果たす人が決してめずらしい存在でもなくなりつつあります。一方、ベンチャー起業家として成功を収め、その後、大企業の重要ポストへと転身を果たす人も――。
その一人が、40代前半にしてクレディセゾン取締役兼常務執行役員CTOを務めている小野和俊さんです。シリコンバレーでの就業を経て、若干24歳でベンチャーを起業。自社の買収に伴い、クレディセゾン関連企業の一員となりました。現在はクレディセゾンのデジタルトランスフォーメーションを手がけ、伝統的企業の変革を担う立場にあります。
まさに、いま多くの日本企業に求められる「デジタル時代のロールモデル的存在」とも言える小野さんですが、果たして、そのユニークなキャリアはいかにして築かれてきたのでしょうか? 学生時代やシリコンバレーでの経験を振り返りながら、働くうえで大切にしているその価値観やマインドセットを語ってもらいました(写真は2020年3月16日撮影)。
株式会社クレディセゾン 取締役兼常務執行役員 CTO 小野和俊
1976年生まれ。1999年慶應義塾大学環境情報学部卒業後、サン・マイクロシステムズ株式会社に入社。米国 Sun Microsystems, Incでの開発などを経て2000年に株式会社アプレッソを起業、データ連携ミドルウェア DataSpiderを開発する。同ウェアでSOFTICより年間最優秀ソフトウェア賞を受賞。2007年~2010年日経ソフトウェア巻頭連載「小野和俊のプログラマ独立独歩」執筆。2008年~2011年九州大学大学院「高度ICTリーダーシップ特論」非常勤講師。2013年にセゾン情報システムズHULFT事業CTO、2014年 他事業部も含めたCTO、2015年 取締役 CTO、2016年 常務取締役 CTOを務め、2019年に株式会社クレディセゾンへ入社。取締役 CTOなどを経て、2020年3月より現職。
「僕はなんて小さい人間だろう」若き起業家から受けた衝撃
僕らは「76世代」と呼ばれることもありますが、パソコンやインターネットの恩恵を明確に受けた世代でした。僕も例外ではなく、家にPC-8800シリーズのPCがあって、小学4年生からプログラミングを始めた。近くに住む2つ上のお兄さんがプログラミングしていて、カッコよかったんですよ。「えっ、魔法使いじゃん」みたいな。
大学1年生のときには本格的にパソコンを触るようになり、インターネットによって世界が広がった。在学中から野村総研でシステム開発のアルバイトを始めて、「あ、プログラミングでやっていけそうだな」という感触もありました。やるからには、日本よりも5年先を行くシリコンバレーで働いてみたい思いもあった。それで、卒業してからサン・マイクロシステムズの日本法人へ入社しました。
当初からシリコンバレーへ行きたいと伝えていましたが、幸いプログラミングスキルを評価してもらって、半年の研修を経て無事アメリカ本国で働くことになったわけです。「夢のシリコンバレー」。ダグラス・ヒルという上司にも恵まれて、それなりにやりがいを感じて働いていた。彼の紹介でカリフォルニア州立大学サクラメント校でJavaの講義をさせてもらったこともありました。ろくに英語は話せないから、黒板にバーっとソースコードを書いて、「質問はJavaで」と言い放つと、学生から「すげえ!」みたいな歓声があがったりして(笑)。
けれども3カ月ほど経ったある日、ダグラスがこう言うんです。「起業するから、僕の会社にCTOとして来てくれないか」って。僕も当時23歳の若造で、生意気にも「僕のパフォーマンスは他の人の10倍はある。サン(・マイクロシステムズ)で働きながら、もう半分の時間をあなたの会社に使えば、人の5倍の働きは約束する」なんて大口を叩いたんですよ。
ただその一方で、知人の紹介で日本のあるエンジェル投資家と知り合いました。彼はベンチャーの立ち上げを画策していて、技術者を探していた。正直当初は少し胡散臭い話のように感じたのですが、一時帰国して3回目の面談で「個人資産から10億用意してもいい」とおっしゃるのです。
起業する気なんてなかったけど、そんな大金を自分に投じてくれる人がいるのはありがたい話ではあった。どうしたものだろう……と思っていたところに出会ったのが、アロンゾ・エリスという起業家です。彼はシティバンクのオンラインバンキングシステムを作っていて、ある意味将来を約束されたポジションにあったにもかかわらず、小さなベンチャーのCTOとして仕事をしていた。
彼は「リスクを取りたかった。リスクこそが楽しいんだ」と話していて。その言葉を聞いたとき、僕は「自分はなんて小さい人間なんだろう」と思ってしまった。「リスクを楽しみたい」という彼と、「二足の草鞋でキャリアアップ、収入もアップだ」なんて考えていた自分と、同じ人間とは思えなかったんです。
例えばいま砂漠にいるとして、3つのパターンが考えられる。一つは「俺は大丈夫」と闇雲に歩いて死ぬ、無謀者。2つ目は「とりあえず水を確保しよう」とオアシスを探し求めて、水を汲んでからまた歩き出す冒険者。3つ目は同じようにオアシスへたどり着いたものの、「水が足らなくなるかもしれない」と、いつまでも水を汲み続ける臆病者。
アロンゾが冒険者なら、僕はサンという大企業にいながら、上司が起業するベンチャーのCTOというポジションも手に入れようとしている。水筒からはすでに水がこぼれているのに、なおもまた水を汲み続ける臆病者じゃないか、と思ったんです。
限られた人生の時間をどんなことに対して使うのかを考えたとき、水を汲み続けることに時間を割くのではなく、自分の足で冒険へ出かける時間に使うべきなのではないか、と。それで、エンジェル投資家の方から結果的に7億の出資を得て、2000年に株式会社アプレッソを起業しました。
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シリコンバレー流のマネジメント、日本の高い技術力のかけ合わせ
とはいえ、もともと起業するつもりなんてありませんでしたから、プロダクトのアイデアはまったくなかった。ただ、シリコンバレーでの経験がなんらかの形で参考になるのではないかと考えました。
感銘を受けたのは、上司のダグラスから受けたマネジメントや考え方、発想、意思決定などでした。彼のマネジメントについては、何時間も語っていられるほどです。
一方、もどかしかったのは、日本のグローバルでの存在感の薄さ。家電は名が知られているけど、ソフトウェアではほとんど話題に上るものはありませんでした。ただ、日本とのやりとりを通じて日本人の品質に対するこだわりを再認識したのも確かでした。ひたすら緻密さや堅牢性を求める職人的な気質がある。
シリコンバレー流のマネジメントと日本のより高い品質を求める技術力、両方をかけ合わせたような会社があったら面白いな、と。それを実現できるエンジニアの会社にしようと考えたのです。
そうやってアプレッソ創業から半年ほどでリリースしたのが「DataSpider」。ファイルやアプリケーション、ネットワーク、システムなどさまざまなデータをノンプログラミングでつなぐ「データ連携ツール」です。
当時、渋谷界隈はビットバレーと呼ばれて、IT企業に注目が集まっていましたが、その多くはEコマースやブログサービスなどコンシューマー製品。われわれはエンタープライズ製品でしたから、そこまで目立った存在ではないものの、着実に企業からの支持を受け、順調に売上を伸ばしていきました。細かく見ていけば紆余曲折あったのですが、はたから見ればトントン拍子に見えるかもしれません。
「辞めるに違いない」と言われながら、ベンチャーから大手企業へ
転機が訪れたのは、それから10年余り経った2013年のこと。アプレッソがセゾン情報システムズと資本業務提携を結び、その子会社になってからです。
セゾン情報システムズには「HULFT(ハルフト)」というデータ連携ツールがあり、DataSpiderとのシナジーを期待されていました。僕はセゾン情報システムズにも籍を置く形でHULFT事業のCTOを、翌年には他の事業部も含めたCTOを務めることになり、セゾン情報システムズの仕事を兼任することになった。それが大きな転機となりました。
僕はそれまで、ベンチャー的な働き方やシリコンバレーの価値観を是としていた。当然、当初はセゾン情報システムズの企業文化はいささか不合理に感じました。慎重に慎重を重ねる会議、なかなか下りない稟議、ウォーターフォール型で後戻りできない開発体制……。
CTO界隈で集まると、こんなことをよく言われました。「小野さんがセゾンを辞めるのは3年後か1年後か、はたまた半年か、見ものだね(笑)」と。それくらい、僕とセゾンの文化が合わないと思われていたんですね。どうせすぐにイヤになって、辞めるに違いない、と。
けれども半年間、社内や顧客の声に耳を傾け続けているうち、「むしろ合理的な考え方なのでは?」と考え直すようになったのです。
HULFTは16年連続国内シェアNo.1で、銀行や自動車メーカーでは導入率100%。圧倒的に受け入れられています。その理由は、ほとんどバグが出ないから。古いバージョンまでサポートしていて耐久性があって、社会インフラとなっているからです。
その後ろ盾となっているのが慎重で堅実な意思決定であり、ウォーターフォール型。いわゆる「SoR(System of Record)」とか「モード1」と呼ばれる、安全性や信頼性が重視される考え方です。それらは一見して地味だし、時代遅れのように見えやすいけれど、実際は多くの企業で求められているものなんです。
HULFTを販売している代理店や実際に利用している顧客企業の話を聞いてみると、むしろ「HULFTでAIとか言い出さないでくださいね」と(苦笑)。要は、派手なことは求められていないわけです。とにかく安心安全で、バグもシステムダウンもなくセキュアにデータを転送できればいい。
アジャイル型で開発すると、機動性と柔軟性に優れている半面、安定性・安全性という意味では要件が当初から見えているウォーターフォール型に軍配が上がる。ですから、いまはなにかとアジャイル開発が持てはやされて、ウォーターフォール型に価値がないと断罪されがちだけど、そんなことはない。どんどん新しいアイデアを形にする「攻めのIT」と安心安全な「守りのIT」、それぞれに価値があるのです。
そうやってHULFTの強みを「徹底した高品質とサポート性」と見定め、クラウド時代におけるデータ転送ツールとして開発とマーケティングを地道に進めたところ、2015年にAWS主催の「AWS Re:Invent」で、セゾン情報システムズは「Think Big」賞を受賞しました。これは世界でたった9社だけの栄誉です。シリコンバレー的な先進企業にとって欠かせない存在だと、AWSに認められたのです。
勝つには、時代に踊らされないこと。自分の強みを活かすこと
いまや多くの企業がデジタルトランスフォーメーションに取り組んでいますが、伝統的な意思決定プロセスや安定性重視の「モード1」的な価値観と、機動性や柔軟性を重視する「モード2」的な価値観がかみ合わず、うまくいっていない企業も多いようです。
最近の論調として、オープンイノベーションやデジタルトランスフォーメーションがやたらと持てはやされ、「モード2」の価値観がすべて正しいように思われがちですが、あまりにそれをやみくもに推進しても、なかなかまわりの協力を得られないし、それまで安定性を重視していた「モード1」側の人は居心地が悪くなってしまう。うまくいかないのも当然です。
僕の持論としては、自分の強みで勝負するのが鉄則なんです。だってそもそも、アメリカのようにみんな小さいころからスピーチの訓練を受けていて、大勢の前で饒舌にプレゼンするのにも慣れていて、マーケティングの方法論も研究されつくしていて、投下費用も桁違いで……。そういうの、日本人の僕らにはあまりなじまないと思いません?
日本が世界で評価されているものって、マンガやアニメ、あるいはiPhoneの鏡面加工とか、徹底した職人気質によるものが多いと思うんです。エンジニアだって、積極的にコミュニケーションするよりずっとコードを書いていたい……みたいな、言ってみたらちょっとネクラなところがある。
シリコンバレーのやり方や価値観は、アメリカの国民性が背景にあってそれを前提に最適化されているのであって、日本には日本の……ちょっと地味だけど、やるからにはとことん細部までこだわって、絶対にバグを出さない、みたいな強みを、そのまま活かせるような合理的なやり方があるのではないかと思うのです。
日本企業の伝統的なやり方を「時代遅れだ」「世界に通用しない」と批判する気持ちも分かるけど、現に日本の収益の大半はそういった企業から生まれている。それなのに「お前たちは古い、もう終わった」と言って、デジタルトランスフォーメーションや組織変革がうまくいくはずないんです。
新しい時代になっても、現にHULFTは世界で評価されている。相手のフィールドで、無理やりそれに合わせるのではなく、自分の強みを活かせるフィールドで勝負する。そのほうが勝てる確率も高いのではないでしょうか(後編はこちら)。
[取材・文] 大矢幸世 [企画・編集] 岡徳之 [撮影] 伊藤圭
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