次はマーケットへの恩返し。Mr.IoTが描く「50歳以降のキャリア」―八子知礼さん
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1997年松下電工(現パナソニック)入社。宅内組み込み型の情報配線事業の商品企画開発に従事した後、介護系新規ビジネス(現NAISエイジフリー)に社内移籍し製造業の上流から下流までを一通り経験。後にベリングポイントとなるアーサーアンダーセンを経て、2007年デロイトトーマツ コンサルティングに入社、2010年に執行役員パートナー就任。2014年シスコシステムズに移籍し、ビジネスコンサルティング部門のシニアパートナーとして同部門の立ち上げに貢献。一貫して通信・メディア・ハイテク業界中心のビジネスコンサルタントとして新規事業戦略立案、バリューチェーン再編などを多数経験。2016年4月より株式会社ウフルIoTイノベーションセンター所長としてさまざまなエコシステム形成に貢献。2019年4月に株式会社INDUSTRIAL-Xを起業し代表取締役に就任。著書に『図解クラウド早わかり』(中経出版)、『モバイルクラウド』(中経出版)、『IoTの基本・仕組み・重要事項が全部わかる教科書』(共著、SBクリエイティブ)、『現場の活用事例でわかる IoTシステム開発テクニック』(共著、日経BP社)。
(前編はこちら)
「Mr.IoT」として業界の最先端を走る八子知礼さん。マーケットのエコシステム形成を目指してシスコシステムズやウフルでの要職を経験し、志をともにする仲間を増やし続けながら、自身が率いるINDUSTRIAL-Xの成長も見据えて「50歳以降の25年、ライフ2のキャリアを楽しみたい」と語ります。しかし、八子さんが歩んできた道には時として大きな逆風が吹き荒れたことも。コンサルタントとしてのキャリア円熟期、30代半ばに味わった「大きな挫折」から振り返っていただきました。
軽度のうつ状態、「変わりたくても変われない現場」の経験から得たもの
アーサーアンダーセン(後にベリングポイントへ社名変更)で積んだコンサルタントとしての経験により、私は現在につながるプロジェクトマネジメントのスキルを確立させることができました。
34歳で大阪から東京へ拠点を移し、マネジャーとして初めて全面的にプロジェクトマネジメントを手がける案件を担当。コンサルティングの現場をいかにマネジメントし、クライアントとの合意形成を図っていくのか、そしてどのように課題を解決していくのかという一連の流れを経験したのです。
その手応えを得て翌々年、36歳のときに、私は投資ファンドへ移って企業再生のターンアラウンドマネジャーとなる道を選びました。
当時は産業再生機構の動きが活発となり、企業再生に注目が集まっていた時期。そうした世情の中で、私はとある地方都市の観光バス会社の再生案件に関わりました。
ところがいざ中に入ってみると、状況は思っていたよりもずっと複雑でした。経営陣には大手旅行会社や総合商社などから下ってきた重鎮が鎮座し、各々がてんでバラバラに動いているのです。さらに、私が現場へ入って3カ月目にはファンド側が突然「追加投資をやめる」と言い出しました。
既定路線として下ろされたのは「本社の土地を売れば数億円になるから、それで出資者に返済しよう」というもの。
これでは再生も何もありません。自分たちはこの会社のバリューアップのために入っているはずなのに、選択するアクションが資産を売り払うことだけなら存在している意味がない。私はそう訴えました。
しかし現場を見れば、そこにいるのはモチベーションが限界まで低下した人ばかり。それでもできることに一つひとつ取り組みますが、やれどもやれども結果にはつながりません。
気づけば私自身の体にも異変が現れていました。
毎晩、うまく眠りに就けないようになってしまったのです。昼は眠気覚ましのドリンクを飲んで無理やり活動し、夜になるとまた眠れないという日々。ずっと起きているような状態が2週間ほど続き、さすがにこれはまずいと思ってメンタルクリニックへ行ったところ、「軽度のうつ状態」と診断されました。
「軽度のうつ」って何だ……?
自分には無縁だと思っていた症状に直面することになってしまいました。人は、こうやって追い込まれていくのか。こんなことを続けているわけにはいかない。そう思って、転職からまだ5カ月というタイミングで私は会社を去りました。
そうして、ファンドへ移る際にもう1社オファーをもらっていたデロイトトーマツ コンサルティングの門戸を再び叩き、迎え入れてもらったのです。
それは大きな挫折体験でした。あの再生先の現場には「逃げ出してしまって本当に申し訳ない」という気持ちでいっぱいです。
一方で私は、変わりたくても変われない人たちの現状を目の当たりにし、自分自身が陥った状況も含めて、世の中で弱者とされてしまう立場の人たちの気持ちを理解できるようになりました。
それまでの私のコンサルティングは、結局のところ理想論だけを掲げるスタイルだったのかもしれません。しかしあの現場を経験してからは、より一層、現場に寄り添うようになりました。
職業人のコンサルタントとしては、もちろん理想論も語らなければなりません。でも現場の人たちとの合意形成ができてからは、理想だけではなく、目先にある現実的な課題の解決を一緒に追いかけていくことも大切なのです。
そうした意味では、私にとってあの挫折は必要不可欠なものだったのでしょう。
「1年で500人と会う」。ベンチャー経営者との出会いを求めて
紆余曲折を経た転職でしたが、デロイトトーマツは私をシニアマネジャーとして迎え入れてくれました。当時36歳。社長からは「2年でパートナーを目指せるんじゃないか」と言われ、期待をかけてもらいました。
とはいえ、物事はそう簡単には進まないものです。入社3年目の2009年に受けたパートナーへのノミネーションには落ちてしまい、合格したのは翌年、2回目のノミネーションでした。
実は1回目のノミネーションに落ちたタイミングで、パートナーを目指すのはやめて転職活動をしようと考えたこともあったんです。いざ動いてみると、複数のベンチャーから役員や子会社社長のオファーも。
そんな迷いを友人に相談したら、「でもさ、八子さんはベンチャーを知らないし、社長もやったことないでしょ? ベンチャーがどんなものかを知らずにどうやって経営するんですか?」と言われました(笑)。
実に的を射た指摘だったと思います。それまでに私は20人くらいのチームをマネジメントしてきましたが、経営者としてお金の算段をしたこともなければ、ベンチャー経営のリアルもまるで知らなかったからです。
それをきっかけに考えを改めました。「パートナーになれなかった」と腐るのではなく、もう1年挑戦を続けながら、ベンチャーを率いる人たちともたくさん会ってみようと。
立てた目標は「1年で500人と会う」。
それまでの主な関わり先だった大企業クライアントに限らず、ベンチャーに関わる人たちとも出会うために、交流会やTwitter発のオフ会など、さまざまな場所へ行きました。
普通、コンサルタントはそうした場所へはなかなか行かないんですよね。自分たちは単価が高いと思っているし、そうした場所へ露出すると安っぽく見られるのではないかと勝手に危惧しているから。でも私は、「むしろコンサルタントとしての差別化になるはずだ」と思っていたんです。
結果的にその1年で1500人と出会いました。毎月100人のペースで会っていったので、すぐに目標をクリアしました。それ以降は新たな出会いを求めることが行動習慣となっていて、現在に至るまで10年以上、毎月コンスタントに100人以上と会っています。
モバイルクラウドの提唱から「Mr.IoT」へ
大きな転機を得たのもその頃でした。IT関連のウェブメディアから寄稿依頼をいただいたのです。
当初は「パートナーになれないなら、せめて知名度を上げてやろう」といった目論見もありました。それで2008年に始めたのが「八子モバイルクラウド研究所」という連載。当時の私は通信企業を担当し、「モバイル回線を通じて、日頃使うアプリケーションをサーバーやデータセンターの向こう側で運営すると儲かるのではないか」と考えていました。
サーバーやデータセンターの向こう側って何だろう? 調べていくうちにたどり着いたのが「クラウド」です。そこからモバイルクラウドというコンセプトを打ち出しました。
2008年当時、モバイルクラウドという言葉はありませんでした。クラウドの概念自体も一般に浸透しているとは言えない状況。そんな折に、iPhoneが日本に上陸したのです。
「どうやらiPhoneのようなものがモバイルクラウドなのだ」という認識が定着し始め、私が連載で綴っていた内容が世の中にフィットするようになっていきました。
連載は1年半続き、集大成として2010年2月には初の書籍『図解クラウド早わかり』を刊行。そこから先はあれよあれよという間にメディア取材や講演依頼が舞い込むようになり、2012年には2冊目の本を出して、「クラウドの八子さんですね」と認識していただけるようになっていったのです。
連載や本では伝えきれないことを解説する場として、出版社の会議室を借りてTwitterで会話していた人たちに集まってもらう「八子クラウド座談会」も開催するようになりました。最初は15人ほどのメンバーでしたが、1年も経たないうちに100人規模のイベントへ。2020年3月には丸10年を迎えました。
そんな取り組みと並行して、デロイトトーマツでは結果的にパートナーを務めることができました。
やれることをやり尽くしたという実感を得られたことから、2014年にはビジネスコンサルティング部門を新設したシスコシステムズへ移籍しました。
私が提唱してきたモバイルクラウドを突き詰めると、「M2M」(マシンtoマシン)の概念に至ります。スマホだけではなく、さまざまなデバイスがつながる世界。シスコシステムズはそれを実現しようとしていました。
面白かったのは、シスコシステムズへ移籍してから間もないタイミングで急に「Mr.IoT」と呼んでいただけるようになったこと。ある講演に登壇した際、司会者の方がそう紹介してくださったことがきっかけなんです。それがメディアで紹介され、いつの間にか私のキーワードはIoTになりました。
その後はIoTコミュニティでのアライアンスや協業を推進してエコシステムを形成すべくウフルへ。シスコシステムズはグローバルワイドでビジネスコンサルティング部門を閉じたため、このテーマは道半ばでもありました。シスコシステムズで立ち上げた構想を、5年かけてウフルで一つの完成形へ持っていくことができました。
50歳から75歳。誰にでも訪れる新たなキャリアのチャンスがある
自らの会社であるINDUSTRIAL-Xを立ち上げたのは2019年春のこと。
私自身がベンチャー経営者になるというのは、かつては思いもしない道でした。実際に心が動きかけたときも、友人のアドバイスで思い留まっているくらいです。
それでも決断したのは、尊敬する方から「そろそろ自分の名前で仕事をしてもいいんじゃないか」と言っていただけるようになったから。そして既存の組織では現実的に対応できない案件もご相談いただくようになったから。
起業後は組織にとらわれず、自分1人で向き合っていく案件も実際に手がけています。1人で動いてみると思いのほかスピーディーだし、久しぶりに現場ベースでプロジェクトマネジメントを進めることもエキサイティング。提案書を書いて、自分で差配して現場を動かしていくことを楽しんでします。
ただ、今は1人でやっていますが、この組織を大きくしたいとも考えています。
現在は週に1回、必ず徹夜しなければいけないような状況でもあり、かなりきついんですよね(笑)。経理作業や契約書作成といった仕事は、会社の中で誰かがやってくれていたこと。それを認識していながら、自分はやらなくていいものだと思っていました。今は契約書を自分で作って印刷して製本しています。こうした仕事でビジネスが支えられているんだということを実感しています。
オフィスを借りたりSaaSのツールを使ったりすれば、経費もどんどん膨らんでいきます。分かっていたつもりで知らなかったベンチャー経営と社長業のつらさも感じています。これは1人でやってみなければ認識できなかったでしょうね。
苦労して1人で転げ回る貴重な経験を積み、1年が経つので、そろそろ人を入れさせていただきたいと思っているところです。
これまで私は「5年一区切り」を基準にして、実際には5年から7年の周期で、できる限り自分のキャリアを次のステージへ進めるようにしてきました。この会社も同じです。5年から7年のスピードで次のステージへ育てたいと考えています。
その先には、私がこれまで蓄積してきた知見を教育の現場へフィードバックしたいですね。今も全国各地で研修講師を務めていますが、教育分野にはより幅広い視点で関わりたいんです。
もう少し大きな視点で言うと、私自身はもうすぐ49歳。50歳を境目にして、新たなステージに立とうとしています。
大学院を出て社会人となった20代半ばから50歳までのキャリアで25年。さらにこの先、50歳から75歳までにも25年あるんです。つまり「ライフ2」の大きなチャンスがある。
これって素晴らしいことだと思いませんか?
従来はビジネスパーソンとして優秀でも、50歳を超えたら役職定年で、小さな子会社へ行って役員をするようなキャリアが当たり前だったのかもしれません。でもこれからは違います。50歳から75歳のライフ2には、誰にでも訪れる新たなキャリアのチャンスがあるのではないでしょうか。
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私はこのライフ2を「恩返し」の期間にしたいと考えています。もっと余力が生まれれば、自分のスキルや知見をコピーして複数の会社で使えるかもしれません。それがきっと、私にとってのベターな生き方なんです。
「複業」という言葉は広く使われるようになりましたが、私が表現するとすれば「福業」でしょうか。ライフ2を堪能していく中で自分にとっての嫌な仕事は自然と消えていき、楽しい仕事だけが残っていくはず。そうなればハッピー・ラッキーの「福業」になる。
自分にとっての楽しい仕事とは何かを考えるとき、思い出すのは社会人になったばかりの頃、松下電工時代に駆けずり回った大阪の商店街です。
マーケットに受け入れられ、評価されるものだけが売れる。その事実を知った原体験から私は、絶対に逆転することのない優先順位を自分の中に持つようになりました。
マーケットがあって、業界があって、お客さまがいる。そしてパートナー、自社、チーム、自分がある。この優先順位が逆転することは決してありません。自分よりはチームを優先するし、それよりは会社、パートナー、お客さま、業界、マーケットを……。
だから、このインタビューの冒頭で語った通り、私にとっては「マーケットにインパクトを与えられているか」が楽しい仕事の最上位の判断基準です。
基準があると判断がシャープになります。チームをマネジメントする上でも、方針決めが明確になるのです。「今年はマーケットに対してこんなインパクトを与えよう」「お客さまへこんな価値を提供しよう」といった目標は、揺るぎない優先順位の中から生まれてくるはず。
IoTにおけるパートナーエコシステムを形にしてきた近年は、まさにその「楽しさ」を体感し続けてきました。
この先にどんな楽しさを求めるのか。私はこれからもマーケットにインパクトを与えるべく、ワクワクしながらライフ2へ突入していきたいと思っています。
八子知礼さんに聞いた“キャリア形成でいちばん大切なこと”
ご縁を大切にして、機会をつかむ。
[編集・取材・文] 多田慎介 [撮影] 稲田礼子
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