優秀だと勘違いしていたコンサル時代の劇薬。「アサインなし」がキャリアの転機にー八子知礼さん
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1997年松下電工(現パナソニック)入社。宅内組み込み型の情報配線事業の商品企画開発に従事した後、介護系新規ビジネス(現NAISエイジフリー)に社内移籍し製造業の上流から下流までを一通り経験。後にベリングポイントとなるアーサーアンダーセンを経て、2007年デロイトトーマツ コンサルティングに入社、2010年に執行役員パートナー就任。2014年シスコシステムズに移籍し、ビジネスコンサルティング部門のシニアパートナーとして同部門の立ち上げに貢献。一貫して通信・メディア・ハイテク業界中心のビジネスコンサルタントとして新規事業戦略立案、バリューチェーン再編などを多数経験。2016年4月より株式会社ウフルIoTイノベーションセンター所長としてさまざまなエコシステム形成に貢献。2019年4月に株式会社INDUSTRIAL-Xを起業し代表取締役に就任。著書に『図解クラウド早わかり』(中経出版)、『モバイルクラウド』(中経出版)、『IoTの基本・仕組み・重要事項が全部わかる教科書』(共著、SBクリエイティブ)、『現場の活用事例でわかる IoTシステム開発テクニック』(共著、日経BP社)。
シスコシステムズやウフルでの要職を経験し「Mr.IoT」と呼ばれる八子知礼さんのキャリアストーリー。自分が正しいと信じていたコンサルタント時代、「天狗になっていた鼻先をへし折られた」経験が現在につながっていると語ります。松下電工からコンサルティングファームへ移り、意気揚々とキャリアアップを目指した若き日と、その過程で与えられた劇薬は、自分自身の成長だけでなく、チームやクライアントへの貢献、そしてマーケットに対するインパクトへと志を拡大させていく原動力となりました。
「マーケットで評価されるものしか売れない」というシンプルな事実
マーケットにインパクトを与える仕事がしたい。
私の現時点までのキャリアにおいて、常に追いかけてきた最上位の目標です。私が最も楽しいと感じるのは、マーケットにインパクトを与えられる仕事なのです。
この価値観の原点は最初にお世話になった松下電工時代。私は宅内組み込み型ISDN機器の開発に携わるエンジニアとしてキャリアをスタートしました。はんだごてを握って回路設計を繰り返す新人時代でした。
ただ、周囲から見れば私はちょっと変わった存在だったかもしれません。
当時関与していたプロダクトは、作れば作るほど赤字を垂れ流していました。どうせやるなら、ちゃんと儲かる商品を作りたい。そんな思いを抱えて、誰に指示されたわけでもないのに、週末のたびに大阪・日本橋の商店街を歩いてマーケットリサーチをしていました。
店舗で売れている商品の価格をプロットし、その特徴を分析してまとめているうちに気づいたのは、「マーケットで評価されるものしか売れないし、お客さまが喜んでくれるものを作らなければ受け入れられない」というシンプルな事実。
部署や会社の都合ではなく、もちろん自分自身の都合でもなく、マーケットに正解があるのだ。おぼろげながらに、私はそう考えるようになっていったのです。
そんな原体験を持てたのはラッキーでした。私は、さして強い志望動機もなく松下電工に入っていたからです。応募した理由は「大学の研究室に推薦枠があったから」という消極的なもの。
それどころか私は、面接の直前まで松下電工を小さな会社だと思い込んでいました。「電工と付いているから、松下グループの小さな工事会社だろう」なんて思っていたのです(笑)。
面接を受けるため、地元・広島から新幹線で大阪へ。その車中で会社パンフレットをよくよく見て、売上高が数千億円規模であることを初めて知ったのでした。
松下電工に在籍していた最後の1年には、介護機器の新規事業立ち上げに従事する機会も得られました。そこでは介護を必要とするお客さまと向き合い、体の状態の変化に合わせてハードウェアを提供して、真に喜ばれるという経験をしました。
これが、私を次のステージへ向かわせるきっかけとなったのです。
同じ仕事を続けていると、成長が止まってしまう
介護の新規事業を通じて私が向き合ったのは、お客さまとの長期的な関係性を醸成するものづくりでした。それこそが企業の本来の姿ではないかとも感じていました。その考え方の裏付けを求めていろいろな本を読み漁り、当時注目されつつあった「CRM」(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)という言葉にたどり着きました。
CRMの価値を、松下電工だけでなく世の中全体へ広げていくには?
そう思っていたときに、後にベリングポイントと社名を変えることになるコンサルティングファーム、アーサーアンダーセンの大阪拠点が「CRMコンサルタント」を募集していることを知りました。
ここなら自分の経験や思いを生かせるのではないか。そんな感情とともに、コンサルタントという職業へのあこがれもあったように記憶しています。
きっかけをくれたのは、日本を代表する経営コンサルタントと言われる三枝匡さんの著書『戦略プロフェッショナル』です。
ここに登場するコンサルタントは、「ハードウェアを無料にして試薬で儲ける」という、現在のサブスクリプションに近いビジネスモデルを推進します。私がこの本と出会ってから程なくして2000年頃には、実際に携帯電話がそのモデルで売られるようになりました。
主人公の姿に自分を重ね合わせてエンジニアからコンサルタントへ転身する。そして、製造業での経験と、お客さまに喜ばれるものづくりの知見を生かしていく。そんな要素がカチッとはまって、私は入社5年目の30歳で最初の転職を決意したのです。
松下電工という大企業に入社して4年あまりで転職の道を選ぶ人は、当時はほとんどいなかったのではないでしょうか。しかし私自身は、入社前から「3〜5年で次のステージへ行かなきゃいけない」と考えていました。
そうしなければ、自分の成長が止まってしまうという仮説を持っていたのです。ずっと同じ場所にいると退屈し、仕事に飽きてしまうのではないか。そして結果的に成長が止まってしまい、無駄な時間を過ごすことになるのではないか。学生時代からそんな危惧を抱いていました。
同じ仕事を続けていると、経験則によってどんどん楽にこなせるようになっていく。そんな体感値は誰もが持っているでしょう。仕事が楽になることをポジティブにとらえる人もいるかもしれませんが、私はネガティブにとらえていたわけです。
コンサルタントになってから、その仮説は確信に変わりました。
コンサルティングファームの世界では、3〜6カ月といった短いサイクルでプロジェクトに携わることも多く、一つひとつの区切りではすさまじいスピードでレビューされ、人事考課に反映されていきます。早い人では、3カ月でパフォーマンスが圧倒的に変わっていきます。
また、コンサルタントは一つの会社に所属しつつ、同時に別の会社にも所属して経営にタッチしている感覚を持てます。まず退屈することはないし、常に成長し続けられる。私にとっては天職だと感じられるフィールドでした。
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「天狗になっていると、誰もお前と一緒に働かなくなるぞ」
とはいえ、転職したばかりの頃はなかなか自分に自信が持てませんでした。優秀な人たちが集う会社の中で、入社から1年が過ぎる頃までは「いつクビになるか分からない」と怯えていました。
アサインメント先の現場で先輩たちが「後でちゃんとフォローしないとまずいな」なんて話しているのが聞こえてくると、自分のふがいなさについて言及されているのだと思ってびくびくしていたものです。
その不安を払拭するために、先輩たちのレビューは隅々まで読み、世の中に流通するハードカバーのビジネス書も読み漁りました。マーケティングやCRM、事業戦略に関するものを、数カ月で50〜60冊は読んだと思います。
そうして半年が過ぎ、1つのプロジェクトが終わる頃には、ようやく認められるようになっていきました。
しかし、それは新たな壁の出現でもありました。優秀な人たちに認められるようになった私は、ついつい天狗になってしまったのです。
ある時期からは優秀な先輩たちにもロジックで勝てるようになっていきました。プロジェクトでは我を通し、「自分の言っていることが正しい」とロジックを突きつける日々。
ところが最終的なアウトプットは、クライアントのためになるものでは到底ありませんでした。それらは「意思決定をしない社長が悪い」「組織構造を放置している経営層が悪い」としか読めない内容でした。
そんなアウトプットしか出せない私に対して、当時の先輩や上司、パートナー役員から投げかけられた言葉は今でも忘れられません。
「これでは何の解決策にもならないし、何一つクライアントに貢献できないぞ」
「冷静になれ。そんなふうに天狗になっていると、誰もお前と一緒に働かなくなるぞ」
懇懇と詰められた挙句、「しばらくはアサインの機会を与えない。頭を冷やして考えろ」と言われてしまったのです。
その日はもう放心状態。会社から家まで約6キロメートルの距離を、とぼとぼと歩いて帰りました。
道すがら、私はいろいろなことを考えました。
なぜあそこまで言われなければいけないのか。
でも、先輩や上司、役員がああまで言ってくれるのはなぜだろう。
そもそも、このままアサインがないとクビになってしまうのではないか。
どうすれば自分は受け入れられるのか。
そしてチームに貢献できるのか。
自分のパフォーマンスが高ければ高いほど、1人で何でもできると思いがちです。でも実際はそうではなかった。本当は1人でクライアントに貢献することなんてできないのに、私はチームを軽視して、結果的に何の価値も生み出せていなかったのです。
家に着く頃には「明日、頭を下げよう」と決めていました。実際に翌日には「魂を入れ替えます。リセットしてやり直します」と誓いました。半端じゃない詰められ方だったからこそ、劇薬だったからこそ早く効いたのだと思います。
先輩や上司、役員がそこまで踏み込んでくれたのは、「出る杭を叩く」といった動機などではありませんでした。パートナー役員は後日、「あのとき、ああでも言わなければあなたはもう伸びないと思った」と語ってくれました。
小さな領域でいい気になっているとそれ以上は伸びない。大きな山は登れない。絶妙なタイミングで私の鼻先をへし折ってくれた方々には、感謝の言葉しかありません。
自分自身もまだまだ鍛えられるはず
アーサーアンダーセンでは、その後も数多くの貴重な学びを得ることができました。
あるマネジャーとのエピソードを紹介させてください。
当時の私は、「コンサルタントたるもの、『分かりません』などと言ってはいけない」と考えていました。クライアントが分からないことを知っていて、常に応えられる存在でなければならないのだと。
ところがそのマネジャーは、クライアントへの報告の中であっさり「それは分かりません」と口にするのです。私にとっては衝撃的な場面でした。
その場を出てから私は、「なぜ『分かりません』なんて言うんですか?」と率直に聞きました。するとマネジャーは「分からないものは分からないよ。その場で明確に伝えられないなら、『調査します』としか言えないでしょう?」と。
自分が考える「あるべき態度」や「誠意」が硬直化しすぎると、通り一遍の対応しかできなくなるもの。私はコンサルタントである自分という存在にばかり意識が向いていたのかもしれません。どんな立場であっても柔軟に対応すべきだと学びました。
当時、私は33歳。鼻っ柱をへし折られる経験をして、柔軟性の大切さを学び、そして自分自身もまだまだ鍛えられるはずだと信じていたのです。
(後編はこちら)
[編集・取材・文] 多田慎介 [撮影] 稲田礼子
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