サッカー日本代表からバイオベンチャーの起業家に。鈴木啓太に学ぶ、人生100年時代のネクストキャリアの見つけ方
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人生100年時代に突入、またテクノロジーの急速な進展により「機械に仕事が奪われる」などとも言われます。長い職業人生を歩む上で、私たちは勤める会社どころか、職種もスキルも絶えずアップデートし続けなければならない状況にあると言えるでしょう。
けれども、いま取り組んでいることに夢中であればあるほど、「次」に備える時間的、心理的なゆとりは持ちにくいもの。選択肢が無限に広がり、そのことでかえって「やりたいこと」を見つけられない人が増えているとも言われる中、私たちはどうやってネクストキャリアを見つければいいのでしょうか。
鈴木啓太さんは浦和レッズひと筋16年、日本代表でも活躍した一流の元サッカー選手です。現在はそこから起業家へと転身。腸内細菌解析事業を手がけるバイオベンチャーAuBを設立し、アスリートの便の傾向を研究しつつ、それをコンディショニングコントロールに活用することで、スポーツ界の発展に貢献しようと奔走しています。
起業した当初は経営者としてどころか社会人1年目のようなものでした。5年目の今年ようやくプロダクトを発表するに至りましたが、その間にはたくさんの苦労と失敗もありました。でも、そんな苦労をしてでもやり抜くだけの価値があると確信しているんです
鈴木さんは、サッカーに替わる情熱の矛先をどのようにして見つけ、また、足りないスキルをどうやって獲得していったのでしょうか。一流サッカー選手から経営者へと転身した鈴木啓太さんの歩みから、私たちのネクストキャリアのヒントを探ります。
運命の出会いから1週間で起業を決意。「すべてのピースがハマった」
―どんなことをやっているのか、まずはAuBの事業について教えてください。
ひとことで言うなら、アスリートの腸内環境について調べる事業をしています。サッカーやラグビー、水泳など現在28競技500人以上のアスリートから1000以上の便のサンプルを提供してもらい、大学や専門機関とともに、4年にわたって研究してきました。その研究結果をもとに商品開発やコンサルティングをすることで、コンディショニングコントロールを通じたスポーツ界の発展を目指しています。
―一サッカー選手だった鈴木さんがどうしてこの事業を始めることに?
その理由は大きく分けると二つあります。
ひとつは、母からの教えです。ぼくの母親は栄養士で、小さいころから「健康でいるためにはお腹の調子を整えることが大事。便を必ずチェックしなさい」と言われて育ちました。高校生になるころには、お腹の冷えを防ぐために食後は必ず温かいお茶を飲んだり、腸内環境を整えるべく毎日サプリメントを摂取したりと、腸から整える健康管理を無意識のうちに実践するようになっていました。つまり、もともとお腹の中のことにものすごく興味があったんです。
もうひとつは、現役時代の経験です。2004年に中東で行われたアテネ五輪のアジア予選へ遠征した時のこと。チームメートのほとんどが下痢で脱水症状に苦しむ中、ぼく自身は日頃からの習慣のおかげで、コンディションを崩すことなく試合に臨むことができました。「腸から整えるって本当に大切なんだ」と実感した瞬間でした。
どれだけ優れた才能を持ち、どれだけ練習を積み重ねていても、コンディションが整わなければ、アスリートは持てる力を発揮できません。コンディションが整わないばかりに自分の力が発揮できないのは、アスリートにとってもっとも悲しいこと。そうした状況を改善できないかと思ったことが、いまの事業につながっています。
―とはいえ、それを引退後のキャリアにしようと思ったのはどうしてですか? どのタイミングでそう考えるようになったのでしょう?
ぼくが現役時代に行っていたコンディショニングは、腸内細菌の管理というよりは、お腹の状態を整えるというくらいのもの。ですがある時、トレーナーからたまたま、便に関する事業をしている人がいると聞いたんです。すぐにコンタクトを取って、3日後には会いに行きました。2015年の夏のことです。
その場で「アスリート×腸内フローラで体調管理のサポートをする」というアイデアを話したら、「いいね」という話になって。その1週間後には会社を作ろうと決意しました。
―動きが早いですね。
すべてのピースがピタッとハマった感覚があったんです。自分がプロサッカー選手としてプレーする中で感じていた腸内細菌の力。幼いころから聞かされていた母の教え。そしてそれらが実際に科学的に証明されていること。それらすべてがピタッと。すごくやりがいのある仕事だとも感じましたし、やらない理由がありませんでした。
サッカー界を変えるには、一度“外”の社会に飛び出す必要があった
―でも、2015年の夏といえばまだ現役ですよね。同年代で現役を続けている選手もいるだろうし、気持ちを切り替えるのが難しいとも思うのですが。
サッカー選手の選手寿命はせいぜい40歳くらいまで。期間限定の職業です。ぼくが18歳でプロになった当時は、30歳までプレーできたら御の字くらいに考えていました。だから、サッカー選手になったその時から「次」があることは頭の中にありました。もちろん、実際にプロになってからはとにかくがむしゃらにやるしかなかったですし、まさか腸内の研究をしている未来なんて思いもしなかったですが。
ただ、いま振り返れば、サッカーだけで終わりたくないという気持ちは漠然と持ち続けていました。そもそも、ぼくの人生の目標は、60、70歳になった時にかっこいいおじいさんになっていること。その意味では、サッカーは人生を楽しむのための要素のひとつという認識でした。サッカーはもちろん好きですが、サッカーしかない人生は嫌だと思っていたんです。
だから、現役時代から業界の外の人と付き合うことのほうが多かったです。そうしたほうがいいと思っていたというよりは、純粋にいろんな人の話を聞いてみたいという興味がありました。それが自然だったんです。起業しようと思えたのも、そうした流れの延長上にあったと言えるかもしれないですね。
―ある意味サッカー選手らしくない発想は、そうした交友関係が影響しているのかもしれないですね。選手のセカンドキャリアとしては指導者や解説者が一般的ですが、そうした道は考えなかったんですか?
まったく考えなかったですね。指導者になるにはライセンスが必要なんですが、ぼくはそもそも取得もしていないですし。
引退後は一旦、サッカー界の外へ出ようと思っていました。それはサッカーから気持ちが離れたという意味ではありません。お世話になったサッカー界に恩返しするためには、むしろそうしたほうがいいと思ったんです。
―どういうことですか?
現役時代に感じていたのは、日本におけるサッカーの社会的地位の低さでした。ぼくがいた浦和レッズはJリーグでは最大級のクラブですが、それでも事業規模は80億円程度。社会一般で見たら中小企業です。
浦和レッズの名前自体は、日本の人口の半分に当たる5000万人くらいは知っているかもしれません。でも、地元の浦和であっても、開催日に試合をやっていることさえ知らない人がまだまだいるというのが現実でした。「プロサッカーというコンテンツにはもっともっと可能性があるはずなのに、なんでこの規模なの?」という疑問がありました。
選手の地位についてもそうです。自分のように結果的に16年やっていても、日本では社会的な地位があまり認められていないと感じます。これはサッカーに限らないのですが、日本ではスポーツが本当の意味で社会に根づいていないのだと思います。そこには、日本のスポーツの成り立ちがヨーロッパなどと違い、企業スポーツだからという理由もあるんですが。とにかく、こうした状況を変えたいと思っていました。
このように「社会におけるスポーツ」という角度で考えると、業界の中で頑張るのももちろんいいけれど、外から働きかけたほうが早いし、そのほうが面白そうだと思えたんです。
いまのぼくは「腸内細菌による体調管理のサポート」という形でスポーツに貢献しようとしているわけですが、ゆくゆくはサッカークラブを経営したいという思いも持っています。そこで目指すのは、ただ単にチームを強くするというのではなく、地域になくてはならない存在になる、社会に貢献できるクラブを作るということです。
でも、社会のことを知らず、会社経営のなんたるかもわかっていない状態では、そんなことは望むべくもない。いまは経営者としての自分を磨く時期だとも思っているんです。
バッジョに憧れFK練習。「なりたい自分」は真似ることから形作られる
―とはいえまったく異なる世界。ご苦労もあったのでは?
それはもう・・・・・・(苦笑)。起業1年目は経営の素人ですし、社会人としても1年目みたいなものでしたから。 特に人・組織の面や、ファイナンスなどのお金の面がまったく分からずに苦労しました。サッカーをやっていたからこそ助けてもらいやすかった面は正直あるかもしれないですが、自分でやらなければいけないこともたくさんあるというのは、この期間を通じて学んだことのひとつです。
―やめようと思ったことは?
なんども降りようかと思いましたよ(苦笑)。確たるモノがない中で、研究開発を続けるのは精神的にかなりきつかった。なかなか成果が出ない時期も長かったですから。特にこの1年は、本気でやめたいと何回思ったのか分からなくなるぐらいにいろいろなことがありました。
―どうしてやめずに踏みとどまれたのでしょうか?
ここで諦めても絶対にほかの誰かがやると思っているから。それだけの価値のあることだと信じているんです。現時点で言えば、「アスリートの腸内細菌研究」では自分が世界一。だったら自分がやったほうがいいだろうということです。
サッカーを最初に始めたころのことを振り返ると、原点には、自分がプレーすることで手を叩いて喜んでくれる母親の姿がありました。それが続けていくうちにだんだんと自分のためになっていったのですが、いま再び、誰かのためを思うようになってきていると自分でも感じます。いろいろと大変なこともある中で、それでもやりたいことを続けていくのには、どこかに自分以外の存在が必要なのではないかと思います。
―もうひとつ、足りないスキルや考え方はどうやって身につけていったのですか?
それはもう「気合」と「根性」で。これはサッカーと一緒だと思っているんですが、絶対に成功する戦術なんてものはこの世に存在しないんですよ。現時点で自分にできないことがあるのなら、頑張ってできるようになるか、誰かに聞いたり、助けてもらったりする以外にないじゃないですか。
その際に前提として大事なのは、しっかりと旗を振ることで、自分が目指している場所を周囲に理解してもらうことだと思います。会社で言えばミッション。個人も同じで、なりたい自分をどれだけはっきりと描けるかが大切ではないでしょうか。それができれば、自分になにが足りないのかも自然と見えてくる。その上で、それを身につけるためには最終的には「気合」と「根性」しかないということです。
―なりたい自分をはっきり描くことが大事。いまは「やりたいことが見つからない」という人も多いようですが、アドバイスするとしたら?
ベンチマークがすごく大事です。ぼくの場合は最初はマラドーナでした。その次に憧れたのはロベルト・バッジョ。あとはユベントス時代のジダンとか。
―プレースタイルが全然違いますよね?
そう。でも、子供のころは本気でバッジョのフリーキックをひたすら真似をして練習していたんです。
そうやってベンチマークに近づこうと思ってひたすら真似をしていると、だんだんと自分の色とか、「ここはちょっと違うな」という部分に自然と気づくことになります。ぼくの場合で言えば、最初はバッジョだったけれど、そこにドゥンガが加わり、誰々が加わり・・・・・・という掛け算で、自分なりの理想の選手像が出来上がっていきました。
会社員の人であれば、近くにいるちょっと尊敬できる上司とかでもいいので、最初はひたすら真似をすることです。やっていくうちに思うところが出てきたら、そこから分岐していって、自分なりのものを作ればいいわけだから。
最初はできないことばかりだろうし、真似している間ははっきり言ってダサいんですよ。でも、人生は打席に立ってなんぼなので。やってみないことには始まらない。成長もないし、なりたい自分だって見つからないんです。最初からなんでもできる人なんていないし、打席に立たなければ、いつまで経っても必要なスキルは身につかない。
それに、どれだけ失敗しても死にはしないので。究極的にはどんなに失敗したところで死なないわけだから、チャレンジしたもの勝ちですよ。人生を一冊の本だと思ったら、失敗も含めて紆余曲折あるストーリーのほうが、振り返った時に楽しいと思いますしね。
AuB株式会社 代表取締役 鈴木啓太
元プロサッカー選手。高校卒業と同時に、Jリーグ浦和レッズに加入。レギュラーを勝ち取ると、2015シーズンで引退するまで浦和レッズにとって欠かせない選手として活躍。2006年にオシム監督が日本代表に就任すると日本代表に選出され、初戦でスタメン出場。以後、オシムジャパンとしては、唯一全試合先発出場を果たす。現在はサッカーの普及に関わるとともに、自身の経験から腸内細菌の可能性に着目し、AuB株式会社を設立。腸にフォーカスをしたアスリートの良好なコンディションの維持、パフォーマンスの向上を目標に、日々研究を行い、その知見やアイディアを事業化。スポーツ、ヘルスケアビジネスの分野でも幅広く活動。
[取材・文] 鈴木陸夫 [企画・編集] 岡徳之 [撮影] 伊藤圭
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